頭角を現しているセビージャのディエゴ・カペル。
3年前に既にトップチームデビューを果たしている
この若手有望株は、ヘスス・ナバスと並んで
セビージャのカンテラ(下部組織)出身の若手として、
セビジスタから多くの愛情を注がれている。
このカペル、実は、かつてバルサのカンテラに
所属したことがあるのである。
8年前の2000−01シーズン、
当時11歳だったカペルは、
インファンティルB(U12)のバルサのカンテラチームに
所属することが決定した。
一人親元を離れ、マシア(バルサの選手寮)に入寮したのだ。
しかしながら彼のバルセロナでの生活は、
周囲が望んだものとはならなかった。
幼い子供にとって、親元を離れて新しい環境に一人で馴染むことは、
想像以上に困難なことだったのだ。
2000−01シーズン、
現在のバルサ女子チームの監督であるチャビ・ジョレンスが、
当時インファンティルBの監督だった。
そのチームの元に、オルラCFという
アンダルシア州アルメリア近郊の
アルボックスという小さな町にある小さなクラブに
所属していたカペル少年は、その才を見出され、
11歳の時にやってきた。
しかしながら、都会での生活、親元を離れての慣れない暮らし、
そして、当時のマシアには同年代の少年が少なかったことも、
カペル少年には厳しい環境となってしまった。
当時の監督チャビ・ジョレンスは振り返る。
「彼は抜群の左足を持った良い選手だった。
現在セビージャで見せているようにね。
問題はフットボールの面ではなかった。
彼は家族がいないことを本当に寂しがった。
彼にとって両親のいない生活は本当にきついものだった。
そうした苦境を乗り越えることが難しかった。
練習前はいつも泣いていて、
いつも彼を慰めることから始まった。
一度フットボールの練習や試合になると、
話は全く違うものとなった。
彼はピッチ上では幸せそうに見えた。
しかし、マシアに帰ると、
再び、その故郷から遠い生活に
我慢が出来なくなっていった。」
そして、カペルはそのシーズン途中に故郷に帰ることとなった。
その後、数年はフットサルに興じたカペルは、
カデッテ(U14−15)の時にセビージャに入団する。
その後はセビージャのカンテラ(下部組織)にて
目覚しい活躍を見せ、遂にトップチームにまで上り詰める。
カペルはセビージャの歴史の中でも
2番目の若さでトップチームの一員となった。
ファンデ・ラモス監督の下で
トップチームデビューを果たしたカペルは、
その後後任のマノロ・ヒメネスの下でも若手の有望株として、
着実にその存在を示している。
その証拠に、左サイドのポジションにはアドリアーノ、
ドゥーダといった経験豊かな選手が揃っているにもかかわらず、
カペルは着実に出場時間を掴んできているのである。







