2007年06月30日

3人目の新戦力は、左SBエリック・アビダル

オリンピック・リヨンの左サイドバック、
エリック・アビダルがの金曜日(29日)に
メディカルチェックを受けることとなった。
クラブ間の協議でバルサ移籍に向け合意に達した為、急遽決まった。

2007−08シーズンに向けた補強の第三弾は、
またもフランス語を操る選手となりそうだ。
オリンピック・リヨンとの最終的な詰めの交渉を残すものの、
移籍の方向でほぼ大筋合意に達し、
予定通りに進めば金曜日の午後には
正式な入団発表へと進んでいくことになる。

バルセロナ入りしたアビダルは、
「とても満足している。
バルサに入団するということは非常に大きな意味を持つことだ。
僕の目標はバルサと契約を結ぶことだった。
何故なら昔からの超ビッククラブだからね。
その目標まであと一歩のところまで来ている。
多くの選手がこのクラブでプレーしたいと思っている。
今僕の夢は一刻も早くロナウジーニョ、メッシ、エトー、アンリ等の
偉大な選手達と共にプレーすることだ。
僕の新たな挑戦であるチャンピオンズリーグ獲得だって
このチームなら夢じゃない。
このチームでもっとフットボールを学びたい。」

1979年7月11日にリヨンで生まれた間もなく28歳となる
エリック・アビダルは、左サイドバックを主戦場とするものの、
センターバックやボランチの位置もこなすことが出来る。
アビダルはフランスの常勝軍団オリンピック・リヨン所属時代に
幾度なくチャンピオンズリーグを経験し、
またフランス代表としても国際経験豊かな選手だ。
もっとも、今回のバルサへの移籍は、
彼にとって初の母国外への移籍となる。

エリック・アビダルは186cm、75hgという
恵まれた体格ながら、最も得意とするポジションは左サイドバックだ。
そして巨体を利用し、センターバックもそつなくこなすことが出来る。
アビダルは豊富な運動量で左サイドが駆け上がり、
質の高いクロスを供給する。
また、テクニックと戦術にも長け、
的確なポジショニングで攻守のバランスを取る。
その強靭な体で激しいディフェンスも得意とし、
ジオの抜けた穴は十分にカバーされるだろう。

エリック・アビダルのプロとしての第一歩は
1999−2000シーズン、
リヨン・ラ・ドゥシェーレ(5部リーグ)から始まった。
しかしその翌シーズンにはモナコに見出され、
2000年9月16日のトゥールーズ戦で
いきなり1部リーグの舞台に踊り出る。
その後はモナコの中心選手の一人として着実に出場機会を増やし、
そこで2シーズンを過ごした。
その間、ラファエル・マルケスやルドビック・ジュリと共に
プレーしている。
2002年の夏、アビダルはリールへ移籍、
そこで2シーズンを完全なレギュラーとして過ごし、
出場機会もモナコ時代に比べて倍に増やしていった。
2003−04シーズンには38試合中35試合に先発出場している。

リールでの2年間を過ごした後、アビダルは生まれ故郷の常勝軍団、
オリンピック・リヨンへ2004年に移籍する。
同じ年、アビダルは初のフランス代表にも選出され、
8月18日のボスニア戦で代表デビューを飾っている。
2006年のドイツW杯では7試合中6試合にフル出場し、
フランス代表を準優勝へと導いた。
また、リヨンで過ごした3シーズンを
リーグ3連覇で飾ったアビダルは、
2006−07シーズンも31試合でスタメンを務めるなど、
もはやリーグ・アン(フランスリーグ)で
掴み取るものを全て掴むところまでに到達したのであった。
また、このシーズンにはチャンピオンズリーグでも
7試合にスタメン出場し、フランス代表としても10試合を戦うなど、
充実したシーズンを送った。

アビダルの履歴は以下の通り。

1999−00 リヨン・ラ・ドゥシェーレ
2000−01 モナコ  8試合出場
2001−02 モナコ 14試合出場
2002−03 リール 27試合出場
2003−04 リール 35試合出場
2004−05 リヨン 29試合出場
2005−06 リヨン 14試合出場

そして、エリック・アビダルが最後の関門である
メディカルチェックをパスした。
金曜日(29日)午前にバルセロナ市内の病院と
カンプノウ施設内にあるメディカル・センターを
それぞれ訪れたアビダルは全ての医療検査を受け、そしてクリアした。
バルサのメディカルチェックを担当したプルナ医師は、
「今朝、アビダル選手の全てのメディカルチェックを終えました。
全て問題無しという結果が出来ました。
アビダル選手のフィジカルコンディションは
素晴らしいものがあります。

筋肉系統には全く故障の後はありませんでした。
非常に屈強な肉体の持ち主だということが出来ます。
多少の怪我も怪我とも思わずにプレー出来る
非常に優れたフィジカルを持っています。
事実、ここ数シーズンは怪我の為に
試合を欠場したことは無いようです。」

アビダルはオリンピック・リヨン時代、
1度大きな怪我に見舞われている。
1年半前、今シーズンのメッシが負った故障と同じく、
左足の第五中足骨を骨折したのだった。
それに関して、様々な検査を行ったプルナ医師は、
「もう完全に完治し、克服した怪我で、全く影響はありません。」

エリック・アビダルが晴れて正式にバルサの一員となった。
メディカルチェックをクリアしたアビダルは
カンプノウ内のオフィスでジョアン・ラポルタ会長の面前で
契約書にサイン、2011年6月30日までの4年契約を結んだ。
また、同契約の違約金は9000万ユーロ(約150億円)に
設定された。
また、それに先立ってオリンピック・リヨンと
最終合意に達したバルサは、
同選手の移籍金として1500万ユーロ(約25億円)を
支払うこととなった。

また、上記移籍金に加え、向こう4年間の間に
バルサがチャンピオンズリーグを獲得した場合には、
プラスアルファとしてオリンピック・リヨンへ
50万ユーロ(約8,300万円)を支払うことも
ラポルタ会長の口から発表された。
また、同会長は今回の移籍に際し、
別途80万ユーロ(約1億3千万)の経費を受け持つことや、
リヨン側に選手育成貢献費として70万ユーロ(約1億2千万円)を
支払うことも付け加えた。

エリック・アビダルは今シーズン、
ハビエル・サビオラが着けていた背番号22を
着用することになりそうだ。
同選手はオリンピック・リヨン時代は背番号20を付けていたが、
バルサでは既にデコが同番号を装着している。

元イタリアのプロ選手だったマルコ・シモーネが
エリック・アビダルの代理人で、今回の契約にも同行している。
シモーネは選手時代、フランク・ライカールト監督率いる
ACミランと何度も対戦し、
セリエAでは通算49ゴールを上げている。

FCバルセロナの07−08シーズンの補強第3弾、
エリック・アビダルの入団発表会が
カンプノウ内の記者会見場で行われた。
「バルサの一員になることがずっと僕の目標だった。
今日、それが実現した。
そしてこれからの目標は、常に勝つことだ。」と
野心満々に語ったアビダル。
オリンピック・リヨンから移籍してきた左サイドバックは、
そのこみ上げる嬉しさを爆発させた。
新天地、バルサでの背番号は22に決まった。

バルサの選手になるということはアビダルにとって、
「この上ない誇らしいことだ。
今回の移籍実現に向けて尽力してくれた
関係者の皆さん全てに感謝したい。」と喜びを口にした。

この夏の3番目の補強となったエリック・アビダルだが、
これまでのアンリとトゥーレ・ヤヤとは共通点がある。
すなわちフランス語だ。
「フランス語を理解する仲間がいるというのは心強い。
チームにいち早く溶け込むことに役立ってくるからね。」
そしてアビダルにとってさらに追い風となるのは、
アンリとテュラムとはフランス代表で
一緒にプレーしているという事実だ。
「そうした代表の仲間がいることも
新加入選手としては嬉しい事実だよ。
僕のスタートにとってとても重要な要素と成りえるだろう。」

アビダルの加入に関して
テクニカル・ディレクターのチキ・ベギリスタインは、
「彼の運動量、高さ、スピードは
左サイドバックのポジションで大いに発揮されるだろう。
これまで以上に左サイドが攻撃的になるのではという意味で
逆の心配をする声もあるようだが、
彼はディフェンス面でもしっかりとした戦術眼を持ち合わせている。」

ここ数日の間に加入したトゥーレ・ヤヤやアビダルといった
フィジカル面に優れた守備の選手が多く入団しているという
事実に関してチキ・ベギリスタインは、
「チーム全体のバランスを今回は重視した。
攻撃面で強力なメンバーを既に持っている我々としては、
今回は守備面での補強を第一に考えている。」
posted by かずくん at 21:09| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | バルサ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

グアルディオラ「素晴らしいフットボールで、そして勝ちたい」

バルサBの新監督ジョセップ・グアルディオラが
先日の就任式以来再び姿を現し、
公の場で来シーズンに向けた抱負を語った。
「まずはクラブの哲学をしっかりと植え込む。
つまり、素晴らしいフットボールを展開して、
そして勝つということだ。」と語り、
また、ボージャン・キルキッチとジオバンニ・ドス・サントスを
計算に入れていないことを明かした。
両選手はシーズン最初の段階でトップチームに帯同する予定のようだ。

インタビューの間、グアルディオラの常に大いなる期待を持って、
来シーズンに臨む様子が窺い知れた。
「まずトップチームに上がる選手達には、
そのチャンスを絶対に逃さないよう、頑張ってもらいたい。
下のカテゴリーで培っていったものと努力を
忘れずに奮闘してもらいたい。
自分が選手だった頃も、トップに上がることは
少年時代からの夢だった。そしてそれを掴み取った。
このクラブは若い選手達に多くの可能性を与えてくれる。
そして、コーチ陣にもね。だから皆成長するんだ。」

グアルディオラは今シーズン、
バルサBでプレーしたボージャンとジオバンニ・ドス・サントスの
両選手は、4部に降格となるバルサBで
引き続きプレーしないことを明言した。
「トップチームの状況にもよるだろうが、
今のところ二人はトップチームに所属させる意向だと聞いている。
トップチームで出場機会を手にすることは非常に難しいことだ。
ましてや彼等はまだ若い。
もしトップチームでずっと出場するチャンスを得られない場合には、
12月以降、バルサBで見ることになるかもしれない。
もっとも、そうならないように願っているけどね。」
posted by かずくん at 20:47| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | バルサ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エウゼビオ「新たな野望とモチベーションを築くことが重要」

来シーズンに向けて、アシスタントコーチの
エウゼビオ・サクリスタンはその展望と抱負を語った。
「我々は来シーズンに向けて、
新たな希望とモチベーションを高めていかなければいけない。
そういう意味ではアンリとトゥーレ・ヤヤの加入は重要だ。
新たな気持ちでチームを始動させる起爆剤になる。
4年前、我々が目標に向けて新チームを立ち上げた時のように、
今回も進めていくつもりだ。
新たな選手の加入によって生じるポジティブなエネルギーを
来シーズンへの期待に繋げていきたい。

アンリとトゥーレ・ヤヤの加入は非常に重要だ。
二人は偉大な選手、アンリは輝かしい実績を持っているし、
トゥーレ・ヤヤはまだ若いながらも
様々なフットボールを経験してきている。」

ここ数年、バルサは世界最高峰の選手を常に抱えてきている。
エウゼビオは言う。
「彼等の選手としての質の高さは普段の練習の時から
目の当たりに出来る者としては本当に楽しみで仕方ない。
新たな選手が加わって、さらにその傾向は強まるだろう。
素晴らしい選手達が集い、
そして彼等がポジティブな作用を出し合って
一つのチームになっていかなければいけない。
それが出来れば、直ぐに再び重要なタイトルを
掴み取ることに繋がるはずだ。

ジオとサビオラは共にバルサに多くのものをもたらしてくれたし、
ファンに大変愛された。
特に彼等がロッカールームにもたらしてくれた影響が
大きかったと思う。
二人とも偉大なプロの戦士だった。
彼等が常に示してくれた姿勢に本当に感謝したいし、
彼等にはこれからも幸運あれと言いたい。」
posted by かずくん at 20:39| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | バルサ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月28日

さらばジオ、多くのタイトルを手土産に

ジオバンニ・ファン・ブロンクホルストがバルサを去る。
2度のリーガ、2度のスペイン・スーペルコパ、
そして1度のチャンピオンズリーグを手土産に持って。

数ヶ月前、ジオは公の場で
「もしFCバルセロナを去ることになるとしたら、
僕の行き先はロッテルダムになるだろう。」と語っていた。
自身の生まれ故郷であり、その町の名門クラブである
古巣のフェイエノールトに戻ると言うのだ。
多くのフットボーラーが成し遂げられなかったものを
バルサで掴み取るという成功を携えながら、
今それが現実のものとなった。

ジオバンニ・ファン・ブロンクホルストは
フランク・ライカールト監督と同じ年にバルサに入団した。
RKCワールウィルク、フェイエノールト、
グラスゴー・レンジャース、そしてアーセナルでプレーした後、
バルサに移籍してきた。
ジオのバルサの選手としてのデビューは
サン・マメス・スタジアムでのビルバオ戦だった。
2003−04シーズンのこの年、リーガ34試合出場、
UEFA杯5試合、コパ・デル・レイ(国王杯)5試合に出場し、
不動の左サイドバックの地位を手に入れた。
ジオの初ゴールはバルセロナのライバル、
対エスパニョール戦のことで、
この試合は4−1でバルサが勝利を収めている。

2004−05シーズンには同じポジションにシルビーニョが加入、
ジオと交互に左サイドバックを務めるようになる。
しかしながら途中でシルビーニョが怪我を負い、
再びジオはライカールトにとって不動の左サイドバックとなる。
このシーズン、ジオはリーガ29試合、チャンピオンズリーグ8試合、
そしてコパ・デル・レイ1試合に出場した。
また、ジオはこのシーズン、5ゴールを上げ、
特にレアル・マドリード戦のゴールや、
第30節のベティス戦で3−3の同点に導く
貴重なゴールなどは印象深い。
そしてこのシーズン、ライカールト政権になって初の、
そしてジオにとっても初のリーガのタイトルを手にすることになる。

2冠を達成した2005−06シーズン、
ジオはリーガのレギュラーの座をシルビーニョと分け合った。
しかしその一方でチャンピオンズリーグの全13試合には全て出場、
同大会で逃した出場時間はスタンフォード・ブリッジでのベスト16、
対チェルシー戦では、怪我で途中交代した21分だけだった。
このシーズン、リーガ19試合、チャンピオンズリーグ13試合、
コパ・デル・レイ4試合の出場となった。
コパ・デル・レイではベスト16、対サモラ戦で得点を決めている。

今シーズン、ライカールトに最も多く起用されたサイドバックは
ザンブロッタとジオの2人だ。
リーガでは15試合において2人が共にプレーし、
リーガ最小失点の守備に貢献している。
ジオにとって最後のバルサでのシーズンとなった
この2006−07シーズン、ジオはリーガ23試合、
コパ・デル・レイ6試合、スペイン・スーペルコパ1試合、
ヨーロッパ・スーパーカップ1試合、チャンピオンズリーグ4試合、
そして、クラブワールドカップ2試合に出場している。

ジオバンニ・ファン・ブロンクホルストは怪我で悩むことは少なく、
4年間で故障したのは僅かに2度だった。
最初の年、左ひざの内側側副靭帯を損傷して
1ヶ月の戦線離脱を強いられた。
また、2005−06シーズンには右足に故障を抱えた。
しかしそれ以外は今シーズンを含め、
故障に悩まされることは一度もなかった。

そしてジオはバルサに別れを告げ、
フットボーラーとしてのスタートを切った
古巣フェイエノールトへ移籍することが決定した。
4年間ブラウグラナ(ブルーとエンジ)のシャツに袖を通し、
チャンピオンズリーグと2度のリーガ、
そしてスペイン・スーペルコパ獲得に貢献した
32歳の左サイドバックは、新たな道を歩んで行くことになる。

去年の12月8日、ジオは2008年までバルサとの契約を更新した。
しかしながらもし古巣フェイエノールトから
オファーを受けた場合には、
自由契約になれる権利を口頭ながら約束していた。
そしてそれが実際に行使される形となった。

ジオはオランダで育ち、フェイエノールトの他、
グラスゴー・レンジャーズに3シーズン、
アーセナルで2シーズンそれぞれプレーした後、
2003−04シーズンにFCバルセロナに入団していた。
posted by かずくん at 23:01| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | バルサ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月27日

バルサ2人目の新戦力はMFトゥーレ・ヤヤ

ヤヤ・トゥーレは24日日曜日の朝にバルセロナ入りしている。

ヤヤ・トゥーレはまだ24歳だが、
彼は既にヨーロッパで輝かしい経歴を残している。
ベルギーのKSKベヴェレンに2001年に移籍して来た
ヤヤ・トゥーレは、その直後に
ウクライナのメタルルグ・ドネツクへ移籍し、
2005年にはギリシャのオリンピアコスへ、
そして2006年には現所属クラブのASモナコへと移籍を繰り返し、
着実にヨーロッパサッカー界の階段を上り続けている。
高いフィジカルコンディションと繊細なテクニックが
セールスポイントのヤヤ・トゥーレは、
ディフェンシブハーフのポジションを得意とし、
今まで所属した全てのクラブにおいてチームの要として活躍してきた。

24日の朝にバルセロナ空港に到着したヤヤ・トゥーレは
バルサTVの取材に応え現在の心境についてこう語った。
「世界で最も偉大なクラブのひとつである
バルサでプレーできることは僕にとってビッグチャンスだ。
バルサに移籍できたらそれは僕にとって大きな前進となる。
リーガエスパニョーラは素晴らしいフットボールを
プレーしているリーグだと思うし、
バルサは素晴らしいフットボールを展開している。
バルサは世界で最も偉大なクラブのひとつだ。
僕はバルサでプレーしたい。」

FCバルセロナとASモナコ間で移籍合意後、
直ちにメディカルチェックを行う。
そしてFCバルセロナのメディカルチームの報告によると、
グネグネリ・ヤヤ・トゥーレは
全てのメディカルチェックのメニューをこなし、全てパスしたようだ。
バルセロナ市内の病院にて血液や尿検査を
既に済ませていたヤヤ・トゥーレは、
カンプノウ施設内の医療施設にて最後のチェックを行った。
アンリのメディカルチェックも担当したリカルド・プルナ医師は、
「怪我等の影響は殆ど見られない。非常に健康体です。
肉体上は全く問題がありませんでした。」と語り、
その強靭な肉体ぶりを強調した。

心電図を利用して行われた肉体強度を測る検査において、
ヤヤ・トゥーレは十分な数値を叩き出していった。
プルナ医師は言う。
「彼は非常に強靭な肉体の持ち主です。
5年前のベベレンに在籍中に内側半月板を損傷したとのことでしたが、
現在はその後遺症は全く無いことを確認致しました。
完全に忘れて良いでしょう。」

メディカルチェックパス後、晴れてFCバルセロナの一員となった。
4年契約、違約金は9000万ユーロ(約150億円)に設定された。

26日昼、メディカルチェックをパスし、
FCバルセロナのオフィスに現れたヤヤ・トゥーレは
代理人とジョアン・ラポルタ会長の同席の下、
2011年までの契約書に正式にサインをした。

ヤヤ・トゥーレの入団はFCバルセロナの歴史の中で
初のコートジボワール人の誕生を意味する。
ヤヤ・トゥーレの経済的な権利は
モナコと前所属のメタルルグ・ドネツク(ウクライナ)が
共同で保有していたものの、交渉権はモナコが保有しており、
バルサとモナコ間の協議によって今回の移籍が実現した。

ヤヤ・トゥーレを獲得するのにモナコに支払った移籍金は
900万ユーロ(約15億円)と発表された。
また、ヤヤ・トゥーレの今後のバルサでの
出来如何によってはプラスアルファーのボーナスが
前所属のメタルルグ・ドネツクに支払われるという
オプションも付いた。
また、ラポルタ会長は「トゥーレのバルサに来てプレーしたいという
強い気持ちが、モナコが最終的に彼を手放すという
決断に達した要因だ。」と語った。

メディアの前に登場し、入団発表を行ったヤヤ・トゥーレは、
背番号17とTOURE YAYAの文字の入った
ユニフォームを持って登場した。
文字が逆!?と思いきや、奥さんと相談してこの順番に決めたと言う。
しかし「僕の事は好きなように呼んで下さい。」とも付け加えた。

グネグネリ・ヤヤ・トゥーレが、
2007−08シーズンのバルサ2人目の新加入選手となった。
この24歳の若きコートジボワール人MFは、
見た目どおりの強靭なフィジカルに加え、
足元の確かな技術も兼ね備えている。
主にボランチの位置を務めるものの、
攻撃にも積極果敢に加わっていく。
フィジカルを活かしたハードマークで
相手の攻撃の芽を寸断する一方、
素早いパス回しにも加わって攻撃の起点となる。
その巨体(191cm、90kg)にもかかわらず、
2列目から積極的に飛び出して流れの中でゴールを決めるなど、
ロングシュートも強烈なものを持っている。
昨シーズン、モナコで決めた5得点は、
ヘディングではなく、全て両足からのゴールであることを見ても、
足元に強さを発揮する選手であることがわかる。

1983年5月13日生まれの24歳という若さながら、
ヤヤ・トゥーレは既に豊かな国際経験を持ち合わせている。
ヨーロッパデビューは18歳の時で、
ベルギーのベベレンに所属していた(2001−04)。
続いてウクライナのメタルルグ・ドネツクに
2シーズン(2003−05)在籍すると、
続く2005−06シーズンには
ギリシャのオリンピアコスでプレーした。
そこでは、リバウド、ハルナ・ババンギダ、
ダニ・ガルシア・ララ等の元バルサの選手達と共に戦い、
チャンピオンズリーグではチーム内で大きな役割を果たした。

また、コートジボワール代表において、
ヤヤ・トゥーレは主力を務め、
同代表をワールドカップ初出場へと導き、
2006年ドイツW杯の舞台でもプレーしている。

ヤヤ・トゥーレはバルサの歴史上、
初のコートジボワール選手となる。
これにより、歴代バルサの選手の国籍数は36カ国に達した。

ヤヤ・トゥーレはアーセナルのセンターバック、
コロ・トゥーレの弟だ。
3人兄弟のトゥーレ一家は、
末弟のイブラヒムもプロのサッカー選手として
ニースでプレーしている。
正に、フットボールの才能に恵まれた家系と言える。
posted by かずくん at 23:10| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | バルサ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月26日

アンリがバルサの一員になるまでの1日

24日の夜9時(日本時間の25日朝4時)に
ティエリ・アンリがチャーター機でバルセロナ空港に到着した。
アンリを空港で出迎えたフェラン・ソリアノ副会長に付き添われ
アンリは空港から直接カンプノウへ移動し、
カンプノウにてマスコミの写真撮影に応じた。

カンプノウ敷地内にあるバルサのオフィス前で
バルサTVの取材に応えたアンリは現在の心境をこう語る。

「ここに来ることはとても価値あることであり、
とても感動的なことだ。
一刻も早くカンプノウでプレーできることを望んでいる。
そして、できる限りチームに貢献できるよう頑張りたい。
ここにいれることはとても名誉なことだ。
バルサの選手としてできる限りのことをしたいと思っている。」

バルサの真髄についてはアーセナルのチームメイトである
セスク・ファブレガスから何度となく
聞かされているというアンリは、
今回のバルサへの移籍の理由についてこう説明を加えた。

「バルサはクラブを超えた存在だ。
世界中の人々がバルサのことを知っている。
私がバルサへの移籍を決意した理由は、
バルサのプレースタイル、ファン、そしてファンのサポートだ。
素晴らしいファンなくして素晴らしいチームは成り立たない。
また、その逆も同様だ。
特にバルサのプレースタイルはとても魅力的だ。
私も魅了された人間の一人だ。」

月曜(25日)午前にバルセロナ市内の病院と
カンプノウの施設内でクラブのメディカルスタッフによって
メディカルチェックは行われた。
担当したリカルド・プルナ医師は
「ティエリ・アンリ選手は今朝、
全ての検査を満足のいく数値によってクリアーしました。
検査では心拍機能が正常に働いているかを検査し、
また腱や太腿等の動作機能をつかさどる部位を超音波検査致しました。
その結果、全く問題が無いことが分かりました。
アンリ選手には現在怪我している箇所は無く、
また過去の怪我の後遺症も認められませんでした。
問題無くチームの活動に参加することが出来ます。」と報告し、
アンリのコンディションに太鼓判を押した。

アンリは3月に左足の内転筋を損傷している。
その点に関してプルナ医師は
「事前にその点については報告があったので、
その箇所を特に注意して検査しました。
3月頃に負傷した際にはかなり痛みが激しかったとのことでした。
その為、引き続きこの部位を用心する為にも、
特別なメニューをオフ中に取り組むよう指示致しました。
それによって来月21日からの新シーズン始動に対し、
全く問題の無い状態で臨むことが出来るでしょう。
今日も見たように、この時期にメディカルチェックを行うことは、
選手達が長いシーズンを終えた後の疲労した状態を
見ることになります。
ですから、多少の問題はあるかもしれません。
しかしそれは誰でも起こりうる当然のことです。
大切なのは、新シーズンスタートの際に、
何の問題も無い形で合流することです。」

この日、ティエリ・アンリはまずバルセロナ市内の病院へ向かい、
血液や尿、血小板等の様々な検査を実行した。
院内でアンリを出迎えたのはクラブのメディカルスタッフである
ラモン・カナル医師であった。

その後、カンプノウの敷地内にある
メディカル・センターに移動したアンリは、
上述した運動系の検査を次々とこなしていった。
また、この日のアンリのメディカルチェックには
国内外から多くのメディアが詰掛けていた。

そして、アンリが正式にバルサの選手となった。
入団発表会となったこの日、
正式に4年契約となる契約書にサインをした。
その後、カンプノウの施設内にある広間に
100社以上のおよそ200人のメディアが待ち受ける中、
アンリが登場した。
さらにはカンプノウのピッチに姿を現し、
一般のファンが見守る中、お披露目の写真撮影会となった。
バルサの選手の中で誰よりもいち早く
新ユニフォームを着用したのはアンリとなった。

バルサの新しいクラック(スーパースター)を迎え入れようと
この日のカンプノウには実30,000人以上のファンが詰掛けた。
ティエリ・アンリの公式入団発表会が行われたこの日、
背番号14を付けた07−08シーズンの
新ユニフォームを着て登場した同選手を、
大勢のファンが大声援で迎え入れた。
これ程の光景は4年前のロナウジーニョ入団以来のことだ。
集まったのはファンだけではない、
この日は実にスペインの内外から103社、
200人ものメディアも集結し、
一大ビックイベントの様相を呈していた。

この日17時にバルサのオフィスに姿を現したアンリは、
正式に契約書にサインを行った。
この一時間後にはファンが続々とカンプノウへ集結していった。
サイン後にはアンリはメディアの前に姿を現し、
ファンよりも一足先にその勇姿を披露した。

スタジアムでその登場を待ちわびるファンは、
バルサのイムノを合唱するなど、既にボルテージは高まっていた。
そして19時、遂にアンリがカンプノウのピッチに登場すると、
ファンによって埋め尽くされたメインスタンド1・2階席から
大歓声が沸き起こった。
颯爽と登場したアンリは、早速ボールリフティングを披露すると、
詰掛けたファンへの感謝の気持ちを表すかの様に
ボールをメインスタンドへ蹴りこんだ。
その後、メインスタンドをゆっくりとピッチ上から横断し、
ファンへ手を叩いて挨拶した。
殆どが若いこの日集まった大勢のファンは、
アンリの名前を叫んで絶叫するなど、興奮は一気に最高潮へ達した。
そして、再び2つ目のボールをスタンドへ蹴りこむと、
ジョアン・ラポルタ会長他、他の幹部が見守る中、
ロッカールームへと戻っていった。
posted by かずくん at 23:29| 🌁| Comment(0) | TrackBack(2) | バルサ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月24日

バルセロナがヤヤ・トゥーレを獲得。キブらDF陣も近々獲得決定か。

バルセロナの勢いは止まらない。
来シーズンに向けてヤヤ・トゥーレも獲得することが決まった。
トゥーレはコートジボワール代表MFで、
バルセロナとは年俸180万ユーロ(約3億円)での
4年契約を結んだ。

トゥーレの所有権はウクライナのメタルルフ・ドネツクとモナコが
半分ずつ持っていたが、
モナコのチーム内部からの情報によれば、
すでにトゥーレはリカルド新監督に対して
カタルーニャへの移籍の意思を伝えたとのことだ。

共同保有の形になっているとはいえ、
トゥーレの売却に関する決定権はモナコにある。
モナコのジェネラル・ディレクターのマルク・ケラーはこう語った。
「3つのクラブ間での取引であり、
選手本人も含めれば当事者は4組となる。
すべてが順調に進めば、遅くとも来週初めには
バルセロナからの発表が行われるだろう。」
アンリ同様24日にもバルセロナに到着し、
入団手続きを行う予定だ。

ティエリ・アンリの衝撃的な獲得に続いて、
バルセロナがまた1人新たな選手をチームに加えることになった。

FW,MFに続き課題のDF補強に向けて怠りない。

ASローマのクリスティアン・キブが4年契約で
バルサのユニフォームを着ることがほぼ確実となったようだ。
ライカールト監督は一刻も早く07/08シーズンの
ベンチ陣容を把握したいとしており、
1200万ユーロ(約20億円)プラス、
FWルドビック・ジュリとなるようで、
明日25日にもクラブ側からキブ獲得の正式発表があるようだ。

交渉は3者の間で進められているが、
ASローマ側は経済面にこだわり続けており、
もっと高い値段でキブを売りたいと考えている。
インテルやACミランもキブ獲得を狙っており、
インテルのモラッティ会長は同じく
明日にもバルサのオファーを超える金額を提示するようだ。

そこで、一部報道ではMFダニエレ・デ・ロッシも
DFベレッチ、シルビーニョプラス金銭で
同時に獲得を目指している話もあるようだ。

ASローマから両選手の獲得に成功するか注目される。

リヨンの左SBエリック・アビダルも900万ユーロから
1200万ユーロ、頑張って1400万ユーロを提示して
獲得を目指すようだ。

今月中に意中の選手が4,5名獲得が内定することを
祈るばかりである。
posted by かずくん at 21:48| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | バルサ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アンリ、今夜(24日)バルセロナ入り

アンリが本日24日の夜(現地時刻)に
チャーター機にてバルセロナ入りする。
そして、明日25日月曜日にカンプ・ノウ内にて
メディカルチェックを受け、
同日午後(現時時刻)に入団記者会見を行う予定だ。

カンプ・ノウ内にて入団記者会見を行った後、
アンリはFCバルセロナのユニフォームに着替え
カンプ・ノウのピッチに立つ予定だ。
なお、アンリがカンプ・ノウのピッチに姿を現す際には
カンプ・ノウの観客席が一般公開されるため、
多くのファンが押し寄せることが予想される。

アンリのFCバルセロナへの移籍が決定するのも時間の問題だ。
アーセナルFC、FCバルセロナ、
そしてティエリ・アンリの3者が関与する
詳細部分において3者が最終合意に達した時点で
アンリのFCバルセロナへの移籍が決定する。

背番号は前シーズンクラブの空き番で、
アーセナル時代同様の14が有力とみられる。
posted by かずくん at 21:28| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | バルサ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月23日

アンリ獲得内定と新シーズン、私ならこうする。

サッカーのフランス代表FWティエリ・アンリ(29)が、
所属するイングランド・プレミアリーグのアーセナルから
スペイン1部リーグのバルセロナへ移籍することが23日、分かった。
仏紙レキップが「バルセロナに決めた。」と本人の談話を伝え、
4年契約、移籍金2400万ユーロ(約40億円)で
合意したと報じた。
25日に予定されている身体検査後にも正式発表される見込み。
アンリは1999年にユベントス(イタリア)からアーセナルに移り、
2度のリーグ優勝と3度のイングランド協会(FA)カップ制覇に
貢献。在籍8年間でクラブ歴代最多の226ゴールをマークした。

バルサが2年越しのラブコールで入団が確実になったが、
問題は現状の最強3トップ(メッシ、エトー、ロナウジーニョ)との
共存が課題となる。
シーズンを通して誰か負傷離脱者が出ることもありえるので、
もう1枚メガクラックを補強することは決して間違ってない。
では、これからアンリの他入団濃厚といわれる選手を含めて、
私ならではの戦力チャートをシミュレートしてみる。

第1パターン(通常の4−3−3)

         アンリ
   エトー (ボージャン)  メッシ
(ドス・サントス)     (グジョンセン)

    ロナウジーニョ   デコ
             (シャビ)

         トゥーレ
        (イニエスタ)

アビダル              ザンブロッタ 
(ジオ)  キブ    プジョール (オレゲール)
    (マルケス) (テュラム)

         バルデス
        (ジョルケラ)



第2パターン(3−4−3)

         アンリ
   エトー (ボージャン)  メッシ
(ドス・サントス)     (グジョンセン)

       ロナウジーニョ

 
   デコ        ザンブロッタ
 (イニエスタ)     (シャビ)

        トゥーレ
       (マルケス)

  アビダル         プジョール
  (ジオ)        (オレゲール)

         キブ
       (テュラム)

        バルデス
      (ジョルケラ)

どうしても、前線4人を共存させるにはロナウジーニョを
中盤に下げて真の司令塔的役割にすえるほうがベストだと思う。
シャビ、イニエスタの両MFもスタメンで起用したいところだが、
スーパーサブ的な起用になるだろう。
カンテラから昇格が予想されるドス・サントス、ボージャンの
両FWもレギュラーの負担を軽くする役割として出番は多いだろう。
当然、これだけのメンバーを抱えているため、
ローテーション制は引き続き取り入れていくだろう。
3−4−3にしてもザンブロッタが攻撃的とあり、
4−3−3にシフトできるように配慮している。
また、守備力低下を防ぐことも可能である。

ここに出てきたトゥーレ、キブ、アビダルは必ず獲得して
欲しいものである。
特に序盤負傷欠場するプジョールの穴埋めにはキブ獲得はもちろん
既存のテュラムをはじめマルケス、オレゲールの完全復活は
絶対不可欠である。リベンジに向け早くもチームは動き出した。
posted by かずくん at 22:25| ☁| Comment(0) | TrackBack(6) | バルサ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月21日

ペップが帰ってくる!!カンテラ再建にバルサBの新監督に就任

ジョセップ・グアルディオラが、今度は監督として
バルサに帰ってくる。
来期より2シーズン、バルサBの新監督として
元バルサのキャプテン、グアルディオラが就任することになった。
明日木曜日(21日)にジョアン・ラポルタ会長、
チキ・ベギリスタイン・テクニカルディレクター、
下部組織責任者ホセ・ラモン・アレッシャンコ等同伴の下、
正式に発表される予定だ。

ドリームチームの戦士として一時代を築いた
カンプノウスタジアムの横、ミニスタディが帰還した
グアルディオラにとっての新しい職場となる。
このカンテラ(下部組織)出身の代表的存在であるグアルディオラが、
再び、そして今度は監督として育成部門に戻り、
今シーズン失ってしまった3部の地位回復を目指して
新たな挑戦が始まる。

グアルディオラのプレースタイルは、
その後のバルサの“4番”のあり方、
つまり、中盤の底でゲームをコントロールする
プレーヤーの模範的な姿を確立したと言えるだろう。
それまではクライフ監督の下、ルイス・ミージャが
そのポジションを務めていたが、
グアルディオラの出現によって、その方向性は明らかになった。
そして、その後、彼を模範とするプレーヤーが
次々とマシア(バルサの選手寮)から出現するようになる。
デ・ラ・ペーニャ、セラーデス、シャビ、アルテタ、イニエスタ、
セスク等がそれだ。
そして、マルク・クロサス、オリオル・ロメウ等の
新たな系譜も育ちつつある。

グアルディオラは1985年、9から10歳にかけての年に
ヒムナスティック・マンレサよりFCバルセロナに入団する。
その後、1988年までを13歳以下のチームで過ごす。
彼にとっての最初の監督はアントニ・オルモだった。
その後、1989年までをユースチームで過ごすと、
1989−90シーズンに4部に所属の
バルサU19チーム(当時は存在)と
バルサB(3部)のチームを行き来した。
そして翌年、グアルディオラはトップチームの一員として
カンプノウのカディス戦でデビューを果たすことになる。

トップチームデビュー以来、グアルディオラは
ヨハン・クライフ監督にとって欠かせない存在にまで成長していく。
スビサレッタ、クーマン、バケーロ、ストイチコフ、
ラウドルップ等のひしめくスーパースター達を操る指令塔として、
中盤の底でそのタクトを振るって行った。
グアルディオラはバルサ時代、4度のリーガ、1度のレコパ、
1度のチャンピオンズリーグ、
2度のコパ・デル・レイ(国王杯)を獲得している。
そして、在籍した10年間(1990−91から
2000−01シーズン)、
472試合に出場し、10ゴールを上げた。

バルサを去ったグアルディオラは、海外でのプレー人生を歩み始める。
バルサに魂を捧げた男は、リーガ・エスパニョーラの
他のチームに属することは一度もなかった。
最初の渡航地はイタリアだった。
彼の地ではブレシア(2001−02、2003−04)と
ローマ(2002−03)でプレーし、
よりプレッシャーの激しいフットボールを体験した。
さらに、スパイクを脱ぐ前に、
グアルディオラはさらに遠くに足を伸ばし、フットボールを続けた。
すなわちカタールのアル・アハリに2003−05シーズンの
2年間在籍すると、最後はメキシコに渡り、
ファン・マヌエル・リージョ監督の下、
ドラドスで1年間(2006)プレーした。

グアルディオラは現役時代、様々なスタイルのフットボールを
経験している。
すなわちバルサ在籍時代はクライフ、ファン・ハール、
イングランド人のボビー・ロブソン、
そしてセラ・フェレールの指揮下でそれぞれプレーした。
また、イタリアではファビオ・カペッロ、カルロ・マッツォーネ
両イタリア人監督の下でもプレーしている。
posted by かずくん at 23:50| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | バルサ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする